|
どうもご無沙汰の読後放談です。諸般の事情により本はそこそこ読んでいたのですがロト6の予想だけで手一杯で読後放談まで手が回りませんでした。現在も時間があまり取れないので、とりあえず本の紹介だけでもしようと思い立ちました。沢山の本に出会い心に残る本も多いのですが、いつも読んだ後すぐに書くというのが大げさですがポリシーなので今後も今日まで読んだ本に関しては書きません。また再開できるまで時間が掛かると思いますが、それまでは読んだ本の紹介だけで行こうと思っています。
2005.8.24
|
貫井徳郎の中短編集。(1)長く孤独な誘惑(2)二十四羽の目撃者(3)光と影の誘惑(4)我が母の救えたまいし歌、の以上4篇が収録されています。どれもが、それなりに楽しめる作品ですが4番目の「我が母の救えたまいし歌」が異様な雰囲気に包まれていて面白かった。父親の葬儀の日を境に父と母が殺人者ではないかと疑惑が生まれる。知らされていなかった姉とは?過去を探る旅が始まった。誰もが当たり前に持っている光と影の部分。光は影があるからこそ輝いていられる。影は欲望を餌に私たちを誘惑するのだ。 |
裏稼業と言えば必殺仕置人、天に替わって恨みを晴らしてくれる正義と悪の狭間の世界ですが、現代の殺し屋稼業はちょっと違うような・・・。業界なんて言い合っているものの仕置人ほど組織も確立できていなくて、どんな殺しも請け負ってしまう単なる殺人者達。必要悪なのか、自然の摂理なのか、グラスホッパーの世界の片隅で息づき始めた新種のようにひっそり動き始めていた。
裏の世界の一組織のボスの息子の車に撥ねられて最愛の妻を失った中学教師は、学校を止め復讐の機会を狙って組織の詐欺会社に入社する。ある日、組織への忠誠心を試されようとした時、仇と狙うボスの息子が車に撥ねられるのを目撃してしまう。撥ねられた直後に現場を離れる1人の男を、その時一緒にいた組織の女と見てしまい、その男のあとをつけるように命令される。どうも押し屋と呼ばれる殺し屋らしいのだが・・・。
現実離れした殺し屋ストーリーですが存在感たっぷりに描かれているものですから、居ても不思議じゃないような気にさせられてきます。たぶん殺しを仕事にするなら乗り越えていなければならないような人間性が残っているもので、殺し屋と言うより「特技、殺し」を持っている人達っていうレベルだからでしょうかね。でも、恨みを晴らし、悪を仕置きする正義感なんて有るわけじゃなく、反対に悪を助けるような殺しだってしますから、よく考えるとコワイ人達ではあります。まあ、そんな裏の世界の者同士、殺し屋同士のバトルなので誰が殺されようが知ったこっちゃ無いのですが、肩入れしたくなる殺し屋があったり、そんな悪いヤツじゃないなんて思ったり、命だけは助けたいと思ったりも・・・。
本当に人命が優先されているのだろうか、息苦しいような人口密度、人間だって昆虫だって自然淘汰に弱肉強食が・・・と、しっかりストーリーを支えています。全編を「追う」が覆う。仇を追い、殺し屋を追い、過去を追い、自分を追う・・・、まさにたくさんの追跡劇が寄せ集められ、脅迫感、焦燥感、緊迫感の連続に溢れた追跡劇ですから面白くないわけがない。いろいろな取り方が出来るラストのようですが、いずれ彼は殺し屋になると思う。それが追う側なのか追われる側なのかはわかりませんが。 |
心に染みる余韻が気持ち良い。絵に描いたように、高倉健や渡哲也(ホントは長髪なんだけどね)がピッタリはまるような、理不尽な処遇にもめげず与えられた職務を全うし、失敗は己がかぶり賞賛を望まず、その責任感ゆえ心に悔恨の念を持ち続け、不平も言わずにひたむきに生きているひとりの刑事がその信念を賭け闘った記録が本書である。良いじゃないか、現実には居ないなんて言うなよ。男が惚れる男の生き方、男の美学なんだな。
左遷された捜査指揮官が左遷地での検挙率の高さが目にとまり6年後の今、当時の上司で現在の県警本部長に再び連続幼児殺害事件の指揮を執るため呼び戻されてきた。行き詰まった捜査打開のため、テレビのニュース番組を利用しての公開捜査を命ぜられる。またもや捨て石のような扱いの予感を感じながらもその任を受け事件に立ち向かう。堪えて、耐えて、我慢を重ね、無念の被害者のため、悲しみにくれている被害者の家族のため最後に立ち上がる、これぞ傷だらけのヒーローだ。帯にある「犯人よ、今夜は震えて眠れ」の決め台詞、このクライマックスに身震いしたのは犯人ばかりじゃない、ぼくらこそ・・・。
追う警察側のストーリーに犯人側の思惑や心理描写はない。しかし、それを補って余る程、犯人の存在感を感じるのは、追う側を緻密に描ききっているから相対的に浮き出て来ているのではないか。階級組織の警察は簡単な上下関係じゃない。上官の命令こそ絶対、背けば左へ右へ飛ばされる、詰め腹だって当たり前、警察署どうしの縄張り争いに手柄の取り合い、捜査の障害や陰謀は内部に溢れている。限りない制約の中で思い通りの捜査なんか出来ないけれど、やらなければならない時がある。全てを投げ打っても闘わなければならない時が。「これは、自分の捜査だ」と言い切った時、それまでバラバラだった捜査陣があたかも進軍ラッパで軍隊が整然と敵陣へ向かうように、捜査態勢が1つにまとまった瞬間でもあった。う〜ん、たまらない。こうじゃなくちゃ!。
どんな言葉を持ってきて良いのか悩んでしまうくらい凄いです。これほどまでとは思わなかった。確かに絶賛。読んでいて、設定や、言い回しや、展開やら、考えずともつい頭をよぎってしまい、気持をそがれてしまう事って少なくありませんが、まったく余計なことを考えずに没頭出来ます。登場人物のキャラクターも申し分ないですね。台詞も良いです。生きている台詞です。無駄が何処にもありません。その上、単なる捕り物劇に終わっていない。犯罪被害者に加害者、そして追う者さえにも残してしまう重い傷跡にもしっかり触れている。中身は濃い。胸が締め付けられるようなラストに感涙。まだ、まだ、まだ、読み続けていたかった。 |
「新潮45」に2004年2月号より5月号まで連載されたものに加筆修正されたのが本書です。道路公団民営化委員会の初会合から最終意見書が提出されたまでの経過を、委員でもあり行政改革の旗頭でもあった猪瀬直樹氏が変節を繰り返し民営化委員会の方向を抵抗勢力側に利するよう仕掛けたのではと、糾弾する形でレポートしています。
族議員や官僚がなぜ反発するのか?。毎年予算審議をする一般会計予算は税収が40兆、赤字国債で40兆の合計80兆円の規模で行われていますが、実はその他に一般会計予算の4.6倍、370兆円が各省庁が所管している31種類におよぶ特別会計としてあります。驚きですね。その31種類の中に道路整備特別会計5兆7千億があります。それに地方高速道料金、自動車所得税、ガソリン税などを合わせると約10兆5千億円が道路特定財源として確保されています。所管は国土交通省。40兆円も債務を抱えている道路公団のファミリー企業は200社(全て黒字)、官僚の天下りで社長や専務、年間1500万〜2000万円の給料を取り、2年間務めて1000万円を超える退職金を受け取り、以後65歳まで天下りが保証されている。これが民営化の背景です。まさに配分と天下り、族議員と官僚、権力と金力がうごめいている。抵抗が強いわけだ。
完璧とまでは行かなくても道筋をつけたのではと思っていましたが、どうもそうではない事がよくわかりました。民営化委員会に相応の権威が与えられていたのか疑わしいもので、影響力さえも合ったのかどうか。強大な背景を持っている勢力に対して、人材不足なのか、設置すらポーズだったのかあまりにも心許なく頼りなくお粗末だったようです。そんな委員会の一委員である猪瀬批判、ジャーナリストとしての正義と勇気に敬服し、改めて報道に携わる者、ペンを糧にしている者の有るべき姿勢の厳しさを感じました。この厳しさに応えるべく猪瀬氏の反論を是非とも読んでみたいです。 |
こんな物語を書いたら、それこそバチカンの暗殺者に狙われるのでは・・・と思ったりしてしまいますが、アチラの映画や本ではこの手のテーマをよく題材にしていますよね。キリスト教など宗教を実感的に見ることが出来ないので傍観者のような受け止め方しかできませんが、当たり前にその世界に身を置いている読者はどんな感想を持つだろうか興味あります。
ストーリーはルーブル美術館の館長が殺害され、奇妙なダイイングメッセージを残した事から始まります。たまたまフランスを訪れていたハーバード大学の宗教象徴幾何学教授のランドンは犯人と疑われますが、フランス司法警察、暗号解読官で館長の孫娘ソフィーと共に余儀なく逃亡し、館長殺害の犯人を追いながら歴史を揺るがしかねない壮大な謎に挑戦・・・と、来れば面白くないわけないです。映画のカット割りのように展開されるストーリーはテンポが良く、時間経過もわかりやすいです。目の前に浮かび上がるような描写は鮮明です。
テンプル騎士団、キーストーン、聖杯、にバチカン、オプス・デイ、そしてシオン修道会とワクワクするフレーズは歴史ドラマ。シオン修道会の歴代総長にレオナルド・ダ・ヴィンチ、アイザック・ニュートン、ヴイクトル・ユーゴが名を連ねているなんてすごいです。そんな公表されている事実、確認できる事象に現存されている物品、そこへ新解釈を当てはめて行くわけで、まるで理論物理学。「ベストセラーなんて」と見ない振りをしたくなる天の邪鬼ですが、こりゃあホントに読んで良かったぁ。 大好きな高木彬光の「成吉思汗の秘密」、読み返そうっと。 |
期待した以上の面白さ。正直なところ初っ端なから会話がしっくり受け入れられずに流れに乗れなかったのですが、先が読めそうな展開のようで思いも寄らぬ方向へ行くものだから、気が付くと引き込まれてしまいます。学園物でホラーもなければ殺人事件もない。ところがどうして、巧みに伏線は張られ後半は息もつかせない展開とタネが明かされるたびにどんでん返しがたたみ掛けて来る。確かに本格推理だ。
小、中、高校合わせて生徒数7200名、関係者を含めると1万人を越す木ノ花学園。・・・すごい!。城崎修が高校に進学した日、校医で理事長でもある木ノ花あざみ先生から呼び出しが。校内の諸問題を解決するために本格推理委員会が発足され、その委員に幼なじみの木下椎と一方的に選出されたという。嫌々ながら引き受けざるおえなくなってしまった二人。最初の事件は小学校の音楽教室に幽霊が出たという噂の調査からだった・・・。
現場は小学校、関わっているのは小学生、探偵は高校生という図式は面白いですね。学園内は閉鎖された社会であり国家権力が介入しにくい環境であるため・・・と、委員会の必要性を、また校則、生徒会規約、風紀規定に拘束されず捜査権も与えると一応位置づけています。取って付けたような設定ですが、いつの間にか胡散臭い「本格推理委員会」も受け入れられたりして来ますから不思議です。定番の音楽室の幽霊なんて、あくびが出そうですが、これほど深い意味が有ったとは。何故「本格推理委員会」でなければならなかったのか、哀しくも深い愛情と熱い友情に心はたっぷり癒されました。 |
夕刊に強迫神経症と思われる自覚のある人がは20人に1人で、通院している人はその内の4分の1、若い人程多いと載っていました。程度の差はあるにしても以外と多いのですね。振り返ってみれば自分もそんな所が無きにしても有らずという気がします。ストレスが溜まりやすい昨今です。伊良部総合病院神経科もそんな事情を反映してか、ドアのノックも無くならず伊良部先生はさらに強力な診察を繰り広げていた。悩める患者は各界のエリート達で多彩。どんなことをしでかせば直せるのか、とんでもない荒療治が始まった。みなさん一風変わった症状で伊良部神経科を訪れます。当人にとっては真剣な悩みですが、伊良部先生に掛かってしまうと「死ななきゃ良いんじゃないの」で片づけられてしまい、ビタミン注射で誤魔化されてしまう。覚悟を決めて病状を話し始めると、幼児のような素朴な疑問や返事が返ってきます。何とも頼りない医者ですが、この後の無軌道な伊良部先生の心の向くままのハチャメチャな行動が結局は治療になってしまうのですからねぇ、愉快です。
どうも伊良部先生は治療薬じゃなく予防薬。それが、死ぬこと無いのだから気にするなって言うことと、無心の幼児のように心の赴くままに生きなさい。伊良部先生自身が証明しているわけです。別な意味で病気な先生ですが・・・。定番パターン、患者の病気に悩みが最初に提示され、伊良部神経科のドアをノックし、伊良部先生が興味を示して遊びだし、そして完治する。まるで、事件が起き、探偵に依頼し、調査推理して、解決とミステリーの常道のようです。プラス面白いと来ればハマらないわけないですね。伊良部という名前でプロ野球の伊良部選手が浮かんでしまうのですが、イメージ的には結構ベストキャストのような・・・。 |
満たされる事なんて無いと思えるくらい、次々と湧き出てくる欲求にぼくらはどの様にして向き合っているのだろうか。努力で報われるものもあれば、遙か手の届かないものもある。自分の能力を見極めれて諦めとうまく折り合っても、次にはそのストレスの解消という問題が控えている。大人なら何とか出来る(難しいけど)ものも、中学生となると簡単じゃないのだな。
中学2年生、高橋エイジは高校教師の父親と専業主婦の母親、高校生の姉の4人家族。バスケット部に属していたが膝の故障で休部中。成績は良い方だが今思うように成果が出ていない。クラスに好きな子が居る。友達の幅も広い。ごく普通の中学生だが通り魔事件を境に様々な問題と直面する事になる。恋にスポーツに友情・・・なんて青春謳歌と簡単には行かない。問題の殆どが突き詰めれば人間関係という言葉に行き着いてしまう。社会人になってもそれは変わらないけど。ただ、中学生には中学生のルールがあるからややっこしい。イジメより告げ口の方が悪、同情より見ぬ振りが友情、優等生より劣等生、ネクラよりネアカ、真面目より不良、などなど。障害は自分の中に、それは自ら乗り越えなくてはならないハードルだった。
中学生といえども善し悪しは別にして自分なりの考えを持っている。でも上手く言葉に置き換えられない年齢は「察しろよ」と足りない言動や行動で訴えるしか方法がないようだ。汲み取ってくれと叫んでいる。そうなんだよな。わかってはいるけど、大人は言葉で求めてしまう。先生や親には言わないのがルールなのに。表面は何事もなく過ぎ去った時代のように見えるけど悩み、闘い、折り合い、何とか乗り越えて来た。エイジもその友達も。プライドを持って乗り越えたAGEだった。勇気が心に響く。 |
神経科医伊良部一郎と患者の奏でる協奏曲が現代ならではの病理をやさしく癒してくれる。患者とのやりとりを軽妙で絶妙な語り口で巧妙に表す様は職人芸のように隙がない。思わずフフッとしたり、ワハハッと声が出そうになるのを押さえたり、愉快、愉快で読んでいる内に患者の深刻な病もいつの間にか回復している。これは解決法と言って良いのか、解消法と言うべきか・・・。
私鉄沿線の伊良部総合病院、そこの地下に神経科がある。ドアをノックすると「いらっしゃーい」と妙に甲高い声で迎えられる。中にはいると一人用のソファーにズッポリ座り込んだ色白の太り気味の医者が医学博士、伊良部一郎で傍らで週刊誌を読んでいるセクシーな看護婦がマユミちゃん。この先生、注射フェチのようで直ぐ患者に注射をさせ、それを覗いて興奮しているのだ。どうも、まともな診察が受けられないと誰もが思うのだが、何の因果かいつの間にか病を克服出来るようになってしまう。そんな病例が5篇収録されている短編集。
まあ、ここまで大胆にキャラクターを作り上げてしまうと、かえって現実的に見えてくるから不思議だ。よくある能ある鷹は爪を隠す式の、馬鹿な振りして滅茶苦茶な事をして、その実考え抜いた最良の方法を取っている・・・なんて事は無いのです。本当に滅茶苦茶、計算無しです。患者は唖然としつつも憎めないキャラクターとお色気看護婦の効果もあってか、通院する羽目に。反面教師とまでは行かないまでも、伊良部一郎の言動や行動によって患者自ら病を克服していってしまう。思い当たる症例は他人事じゃないぞと、我が身を振り返ったりしてしまいますが、読んでいる内にこちらも癒されているような気になって来ました。薬ですね、この本。とにかく、楽しい、面白い本なので、この面白さが分からなかった方は伊良部先生に診ていただいたらよろしいかと・・・。 |
上中下と3巻からなる「冷たい校舎の時は止まる」ですが、全く長さを感じさせず読み応えのある作品でした。上巻、中巻と連続して読んだものの下巻が無くて手にはいるまで待ち遠しい事といったら・・・。とりあえず、上巻でも読んで、それによって以下を読もうなんてしない方が良いと思います。揃えてから読んだ方がストレスが無くて良いはずです。1日だって待ちきれないから。
雪の降る日に登校した8人の高校生の男女。全員が揃った時、校舎の扉は全て閉ざされ脱出不可能に。遡ること数ヶ月前の学園祭で一人の生徒が屋上から飛び降り自殺をしたのだが、閉じこめられた8人はその自殺者の名前が思い出せなくなっていた。8人以外誰も居ない校舎、不思議な現象の中、ひとり、またひとりと消えて行った・・・。亡くなってしまった級友の名前を思い出せない、誰だったのか?この謎はすごいです。話し合う中、どうもその級友がこの中に居ると思われて来るので、尚更謎は深まり目が離せなくなります。
テンポが良いこともさることながら嫌味のない文章で途中気持をそがれることもなく一気に読まさせてくれます。読み終えればそれと思い当たるものの、伏線すら巧みに張られていますから先が見えて来ないのは別な意味で気持の良いものです。謎が深いと、それにばかり目が行ってしまうので謎解きゲームの様相を呈して来そうになりますが、そこはしっかり登場人物の心の動きも目を配らないと。そこにこそ、本書を支えている全てが隠されています。怪奇な現象の中は謎と恐怖に彩られるも、実は恋や友情に満ちあふれている青春の一時がたっぷり詰まっていました。目の前の霧が晴れるような爽快な読後感。 |
社会の仕組みが変わる狭間の幕末、時代の流れに翻弄された人々が居た。新しい価値観が目覚める間際、謀略と破壊に人の心は侵され、傷つき、敗れ、散っていく。崩壊を防ぐべく防波堤である男達は自らが破壊の象徴であり、交わる女達の物語は残骸の象徴、波は否応なく双方に覆い被さって行った。
女衒に買われて京都、島原の置屋輪違屋に来たのはお糸が6つの時。禿、半夜、鹿恋、を経て糸里天神になったのが14歳、物語はそこから始まる。糸里天神、江戸から来た菱屋のお梅、糸里天神の唯一の友達、桔梗屋の吉栄、そして新選組が屯所にしている壬生住人士八木家のおまさ、同じく前川家のお勝ら女達の眼を通して壬生浪士組から新選組になる過程が芹沢鴨と土方歳三を中心に描かれます。あくまでも彼女たちのフィルターを通してと言うところがミソなんですね。上京までの過程ですら永倉新八に語らせています。尊皇攘夷も倒幕開国もなく、新選組の活躍もない。策略にまみれた新選組の裏面史のようで、その実、裸の男と女を書いているのだと思う。既に士農工商は崩壊しているものの、ひたすら武士を目指している百姓出の男達を、世の中が変わろうと悲しみと耐えることしか許されない女達の眼を通して見ると、そこには同じように逃れられない定めの中でもがいている一人ひとりの人間しか見えてこないのです。
生き方に選択肢のない時代、必死に這い上がろうとする人々に男女の別はない。男も女もお互い必要としていながら、切り捨てなければ生きて行かれない時代は哀れだ。生きるため、志を曲げ、策略に目を瞑り、愛を諦め、身分に甘んじ、目の前にある道を進むしかないので、決して強い意志を持って乗り越えているのではない。ここには強い男も強い女も居ないのだ。耐えることでしか生きる道を見出せない幕間の舞台だった。今、舞台は変わったのだろうか。 |
誰もが後悔している、戻れるならばやり直したい過去を持っているもの。まして、悲惨な結果につながってしまったとしたら・・・。それは、「行動を起こしてしまった」か「行動しなかった」かの2通りしかない。その2通りの青春時代の悔恨が本書「なぎさの媚薬」なのだ。
中学から高校時代は子供は卒業したものの大人にはまだなりきれない心も身体も中途半端な時代と捉えられがちだが、昔も今も性に関しては間違いなく知識が足りないだけの(個人差はあるけど)大人なんだろうと思う。忘れてしまった当時の性の想いだが、まさに本書に書かれている通りだ。中学生だろうが本書に出てくる程度のことは考えている。文字にすると過激なように見えるが、なぎさとの交わりも過去の交わりも決して誇張などされているわけじゃない。欲望を正直に文字にしたらまだまだ過激なものは出てくるはず。映像にすれば1つの画でしか現せないシーンだって文字にすれば何十通りもの行動心理がある。心の中をむき出しにされ目の前に広げられ、目を背けないで見てみろと言われているような気がする。
娼婦なぎさに出会いたいと望んでも出会えるわけじゃない。なぎさに選ばれた人だけが過去を遡れる。そして、知るよしもない過去の結果を知らされ、レールのポイントを切り替える為になぎさの媚薬を飲むのだ。甘酸っぱい若き想い出も綱渡りのようなもの、振り返ればたまたま渡り切れただけで足をすべらしていても不思議じゃないのだと、改めて思い起こさせられたような気がしてくる。本当に危うい性だった。官能の世界をお楽しみ下さい・・・と一言では言えない成分がなぎさの媚薬には秘められていた。 |
あの「秘密」がそうだったように、もし神様の粋な計らいで再会させてくれるなら、最初から別れさせないで欲しい・・・と、願わずには居られない切ない愛の物語が「いま、会いにゆきたい」だ。会いに行きたくても手の届かないところに行ってしまったら、諦めるしか無いなんてあきらめちゃ駄目なんだ。「ボクハ、イツモココニイルヨ」とエリオットの頭を指で触れた「ET」のように、忘れさえしなければ、想い出の中でいつも会えるじゃないか。
その記憶が薄れてしまう(病気で)事を恐れた夫は、幼い子どものためにも亡き妻の事を綴った小説を書こうと決意する。主人公達が公園で会うノンブル先生は「・・・記憶とは、もう一度その瞬間を生きることだ、頭の中でね」と、書き残すことに賛成する。記憶ってやっかいなものだ。記憶で会えるのは嬉しいが、辛い別れも思い出さなきゃならなくなる。それでも思い出す価値のある記憶はあるのだな。たぶん、希望なんだろうね。希望へ続く道しるべみたいなものなんだろうね。
積み重ねられていく父との子の絶妙な会話に酔い知らされいる内に、いつの間にかズッポリ浸かってストーリーの中に入り込み、あたかもその場にいて近くで見ているような気持に。「おいおい、子ども迎えに行かなくて良いのかい」なんて思ってしまうのですから、尚更、切ない、哀しい、つらい思いをさせられます。だけど、この二人ならきっとやって行けると確信も持てます。あんなに素晴らしい、愛に満ちあふれた記憶を持っているのですから。哀しくも清々しい、そして羨ましいラブストーリーでした。 |
追憶のかけら |
貫井 徳郎 |
8/8 |
TOP |
HOME |
ページをめくる手がもどかしいとか、一気に読ませるとか、夢中にさせる本って何がそうさせるのだろう。だいたいが初っ端からだし、それも謎とかまだ出ていないのに。幾つか根拠が浮かぶけれど、どれもが当たっているようで確信が持てない。行き着くところ読む人次第って事なのかしらん。
「追憶のかけら」、読み始めたら結局止められず一挙に読み切ってしまいました。主人公は人の良い大学講師。最愛の妻は幼い娘を一人残して事故死してしまいます。妻は自分が講師として勤務している大学の教授の娘で、主人公が原因の夫婦喧嘩の果て子どもを連れて実家へ戻っている時に事故に。その為、幼い娘は義父である教授宅で生活していますが、何とか引き取って自分で育てたいと願っています。そんな折り、一人の男が自殺した作家の未発表原稿を持ち込んで来ました。
・・・・と、スリルもサスペンスもない冒頭の数ページで止められなかったのですから、虜にさせる何かがあるのだな。その上、この手記がまた読ませます。これだけでひとつの物語が出来そう。50年も前の未発表手記は、当時5作ほどしか発表してない無名に近い作家の自殺する寸前に書かれた物です。自殺の原因を探る事が手記を貰い受ける条件ですが、子どもを取り戻す為にも実績が欲しかった主人公はその条件を飲むことに。さすがに作家の手記と言うべきか、人物もきちんと描かれたストーリーで元の物語を忘れてしまいそうになるくらい。旧かな使いで書かれているせいなのか、戦後の混乱期をそれだけで醸し出しているような手記は重厚にさえ見えてくるから不思議ですね。似たようなプロットは見かけますが、ひと味違っています。何転もする内に廻りの人間全て怪しく見えて来るのは定番か、しかし本の上でも信じる者は救われるですね。誠実な人は、誠実な人を引きつけるのだ。壮大な罠に比べてせこい動機が気になるのですが、もう一つの愛情溢れる手記の御陰で心安らかにラストを迎えられる事が出来ました。愛が始まりで、愛で終わったのだ。 |
地味で真面目な人達にスポット当てたくて・・・とは作者の弁。そのテーマ通り、ごく普通に生活している人達が物語の主人公です。ストーリーも日常的なのですが、舞台だって客席だってスポットが当たったら、そこは別世界、・・・普通の人達の普通じゃない物語が始まりました。
真面目な主人公の物語が6篇収録された短編集です。確かに真面目な人達とは思うのですが、シチュエイ
ションはどちらかと言うと異常です。ですから言葉を換えれば普通の人が異常に遭遇したらどうする、またはどうなる、なのでしょう。不倫の果て、妹を溺愛する双子の兄、待ち人ウォッチング、強迫神経症と二重人格、記憶を無くした2日間、無言電話、と6つのミステリアスなテーマを抱えたストーリーは、ホッとするものも有れば、ゾッとするものも有ったり、ギョッとするものもあってバラエティにとんでいます。
ところで、真面目な普通の人が日常生活の中で普通なのは当たり前の事ですが、普通の人も異常事態になれば普通の間々で居られるわけはないのでは。スパーヒーロー物語に反旗を翻すべく真面目な普通に人を主人公にしましたが、果たして真面目な普通の人ゆえの結果になったのでしょうか。どうも、そうとは思えないのですけどね。どうも「地味で真面目」は普通じゃ無いのかも知れませんね。現代は特異側ですよ。構成の仕方や書き方次第で変わって来そうなストーリー、その中でベストの筋運びになっていて、ひとつひとつの作品に「地味に真面目」取り組まれ大切に書かれた事が窺われます。存分に楽しめる短編集です。 |
出版社から転送されてきた手紙を見た直後に、少女時代に誘拐され1年間監禁されていた過去を持つ女流作家が失踪した。手紙は誘拐監禁した犯人が出所して出してきたものだった。ひらがなだらけの手紙は「・・・私のことはゆるしてくれなくていいです。私も先生をゆるさないと思います」と締めくくられていた。
小学校4年生、10歳、バレエ教室の帰りに少女は誘拐され鉄工所の2階に監禁された。容赦ない暴力から逃れるため監禁を受け入れた。性的暴行は受けていないのだが、救出後の事情聴取でも専門医の診察でも監禁生活を語ることはなかった。それは、廻りの人間の哀れみ、好奇心、想像の対象とされている事を感知し嫌悪したからだ。そして、「犯人との交歓を一切漏らさないことが私の復讐」と言わしめているように、復讐もあるが監禁生活中に暴力による強制ではあったが、それから逃れるために「仲良し」になっていた事を知られた場合の反応が恐かったから他ならない。
「残虐」とストレートに表記された言葉には実に多くの意味を持たせている。誘拐監禁生活そのものを筆頭に犯人の過去も残虐に満ちあふれているし、救出後の警察を始め病院関係者、そして世間の好奇な視線とそれに伴って想像される世界の残虐さもある。殺害されたフィリッピン女性の劣悪な立場と生活環境、犯人の周囲にいた人達さえにも有った事を示唆している。しかし、少女の住んでいる地域の状況はどうだったのか、家庭環境や学校生活はどうだったか、通っていたバレエ教室では・・・。暴力、虐待、性、差別、嘲笑、欲望、命令に背けない状況は誘拐された部屋にだけ存在していたのではなく、日常少女が置かれていた環境にも溢れていて、まさに監禁されていたのではないのか。そして、いつも傍観者は好奇と嘲笑、想像の視線を送っていたではないのか。
監禁場所での犯人との交換日記。「ウソは書いては駄目」と少女は言う。当初は逃走手段と置かれている状況を見出す手段としていたのだが、逃れられないのなら監禁生活に馴染もう、少しでも楽しめるようにと思った時から犯人との関係も変化していく。後に作家になった少女は恋人関係だったと供述するが真実だろうか。無意識な防御手段の1つとして思い込んでいるだけではないのだろうか。一人では生きて行けない、大人の保護が必要な子供達はいつも「命令に背けない」状況の中に居る。「家族団らん」、「友情」、「恋愛」は真実なのか。そこに救いを見出すことが出来ないのは残虐である。少女は本当に解放されたのだろうか。 |
高校生活最後の全校生徒で夜を徹して歩く夜行祭に賭けている人々が居た。恋の告白、友情そして異母兄妹の関係修復、バラバラだった歯車が次第に噛み合って夜のピクニックは朝を迎えます。確かに真っ正面から捉えた青春小説ですが・・・。
この夜間歩行ってピクニックと置き換えられるような軽いものじゃないです。80キロの道のりを朝の8時に出発して翌朝8時まで、途中1時間歩いて10分間の休憩、夜中に2時間程の仮眠を入れて歩き通すハードなものです。気分だけならピクニックとも言えそうですけど、青春の苦悩の1ページならばハードな歩行と相まってお手てつないでスキップじゃ完走は出来ないだろうなと思ったりも。友情や恋の告白は理解出来る範疇ですが、メインの異母兄妹の関係修復はどうなんでしょう。同い年の男女の異母兄妹、偶然にも同じ高校へ進学、そして3年生になって同じクラスに。女生徒は浮気側の子供で母子家庭。男子生徒も現在は母子家庭で浮気をした父親を持った側。二人が最初に出会ったのは父親の葬儀です。以来、諸々の想いを持っている男子生徒は女生徒を無視続けて来たのですが、血のつながった二人だけの兄妹ですから心の奥底では仲良くしたい。それは女生徒も同じようです。見た限り障害になりそうなものも見つからないようなので、勇気を持ってお互い素直に気持ちをさらけ出せば解決する話のような気がするのです。
軽すぎる恋もそうですが、異母兄妹の関係修復にしても隠されていた重大な事実とかが有っての事とか、兄妹とは知らずにいた二人が恋に落ちて・・・とかならともかく、反目し合っているように見えて、本当は兄妹として惹かれ有っているわけですから全く当人同士の問題で共有しにくく、それを応援する友情が安っぽく見えてしまいました。幼児の頃に引き裂かれた兄妹が引き合うというならまだしも、全く幼児から接点の無かった異母兄妹が惹かれ合うのもボクの想像を超えていました。たぶん自分の感性に合わないのでしょう、ミステリアスなストーリーを期待する方には難しいですね。 |
|
|